ことじ保育について

ごあいさつ

園長写真  

厚子園長のことば

 

 ことじ保育園は、昭和41年に産声をあげました。生みの親は、今は亡き私の両親である池田恵昭と八千代です。
“ことじ”という名前は、地域の方々からの強い要望や支援があったことや、地域に愛され、地域に信頼され、地域と共に歩む保育園という願いを込めて小さな班の名前がつけられました。最初の年は、寺の境内に赤い屋根の木造平屋の小さな園舎を建てて、職員5名で、とても親しみやすくて家族的な保育園がスタートしました。その頃、園児の送迎や毎日の保育はもとより、運動会やおゆうぎ会の指導や居残り保育など早朝から夕方遅くまで一心不乱に働き続け、夜は書類作成などすべて手書きでガリ版印刷をしていた両親の姿を思い出します。いつも前向きで明るく、常に人とのつながりやユーモアを大事にする両親でした。そして、先生方はその両親の熱い思いをしっかり受け止め、“子どもを中心にすえた人間味あふれる温かい保育”を実践してくださいました。
 その後、乳児室を増設したり、緑の屋根の鉄筋コンクリートの2階建ての大きな園舎を新築したり、合併処理浄化槽の設置に伴い、れんが広場やけやき広場を新設したり、第2運動場を増設したり、オープンハウスを新築したり、プレイルームを改築したり…と、ことじ保育園の施設も少しずつ少しずつ成長していきました。今では職員は17名となり、念願だった“夢”、ことじ保育園マーチングバンドと有名な和太鼓集団TAOとの共演も実現しました。
 中でも忘れられないのは、平成6年に父が他界したため、11年間の思い出深い教師生活に別れを告げ、退職を余儀なくされた33歳の私が園長に就任した時のこと。保育園はどうなることやらと不安定な時期に、たくさんの有縁の方々が、私たちを優しく励まし、保育園を誠心誠意支えてくださいました。
 なんと、たくさんのたくさんの愛情に包まれて生かされているのかと身をもって知りました。と同時に、両親は、死んでもなお、私たちや保育園を愛し続け、守り育ててくれているんだと気づかされました。その時、止めどなく流した感謝の涙と感動が今の私の原点となっているのです。
 気がつけば、未熟だった私も15年間も園長を続けています。先生方も保護者も、生かされている“いのち”を喜び、共に支え合い、高め合い、育ち合い、信じ合う“かけがえのない仲間”となりました。時代が変わり、園の風景が変わった今でも、両親の保育理念は変わることなく受け継がれ、卒園児も1.000人を超え、国の内外で活躍しています。
 そして昨年、ことじ保育園が創立40周年を迎えられたのも、つつがなく保育に専念し、毎日笑顔で大好きな子ども達に愛情や情熱を注ぐことができるのも、卒園児や保護者の方々、歴代の先生方、行政の方々や業者の方々をはじめ地域の方々………私の周りのすべてのものやすべてのことやすべての人々のお育てのおかげだと感謝の気持ちでいっぱいです。どうか、これからもことじ保育園と子ども達の“いのち”の輝きを温かく見守り、ご指導してくださいますよう心よりお願いいたします。

ことじ保育園園長 池 田 厚 子